詩
小説
評論
あやめ 山下洪文
僕たちのいたみのようにふりそそぐ
あやめいろの夕焼けのなかで
僕の亡骸を抱きあげてほしい
ひまわりのかげのゆれる
階段を
麦わら帽子のあなたが
駈けてゆく
ゆっくりと 旧くなってゆく
世界で
ゆっくりと 小さくなってゆく
あなたを
いつまでも見上げていた
ああ 夏のひざしのなかで
あなたの影にだけ雪が降る
あなたがとおる道には
足跡もない雪が
残されてゆくのだった
僕たちの幼年期のように
それは
誰もふれられないままに
とけ消えてゆくのだ
……透きとおった水に
うつる小さな面影は
ゆうやみに燃やされ
あなたの指のあいだに
いちまいの写真が落ちてくる
姉さん
僕は何を忘れ
あなたは何を思い出したのか
ひまわりのゆれていた階段も
ほどけてゆく麦わら帽子も
あやめいろのゆうやけも
真っ白にそまってゆく
夏は音をうしなって
ふうせんのように
あおぞらに消え
あなただけが
笑っていた
途切れた
時間の
中で
…
とむらわれたひかりのなかに
とらわれて
あなたは歩いていった
僕の瞳のなかは
花でいっぱい
とあなたはいった
あなたはいなかった
あなたはいかなかった
ああ……
吹雪のなかで
あなたは笑っている
僕の右手は
黒い月をつかみ
それはゆっくりと
地上を切り裂いてゆく
あふれでた青空を
あなたは飲み込む
胸のなかで
真っ赤にそめあげるために
列車の窓から
その空を指さす僕に
頬をよせ
あなたはささやく
死の影で遊ぼう
この先に
あなたの愛した
ひとらはいる
いとしい凶器を
手渡すために
別れの日の駅のホームで 舟橋令偉
僕たちは青い空のように
途方もない秋の寂しさに傷つきながら
たがいの瞳にながれる暗い時間のなかで
悲しみの在処を探しつづけていた
そして一枚の枯葉が
僕たちのつながれた手のなかにおちたとき
あなたの虚しい微笑は
美しく生きるための朝にふさわしく
僕の虚しい言葉は
美しく死ぬための朝にふさわしかった
錆びついた線路のしずけさのなかで
僕たちはあまりにも無力だった
風景のようにやさしい時間だけが
あたたかい朝陽とともに通りすぎていった
さようならをいわないなら
いつしか僕の言葉は硝子の雨のように
あなたの美しい顔を傷つけてしまうかもしれない
しかしそれでも生きようとする僕たちは
あなたとあなたの永遠を
あなたとあなたの傷跡を
血に染まる青い空のなかにしるさなければならない
それはあなたと傘をさして
空のむこうがわにたどりつくまで
それは燃えつきた手紙が
ほんとうの終着駅にたどりつくまで
祈るようにしるさなければならない
祈るようにしるさなければならない
生け花 中田凱也
色のない葉が
月の光に靡いて
台所の隅に落ちた
生け花よ
枯れてしまった貴方に
この静寂は聞こえるか
窓が映す永遠に
しずくが煌めく
遠く鳴り続けるのは
きっと波の音
懐かしい
灯台の点滅
貴方の瞳が
瞬いたように見えた
遥か上空の旅客機は
ひとひらの火の粉となり
寂しい記憶を伝う
床に落ちた夏の日
紅色の水紋
冷たい朝
吐く息
生け花よ
この静寂が聞こえるか
雨男女 桑島花佳
この雨を知っている
私たちがかつて降らせた雨だった
私たちは何度も海にたどり着いた
二人して雨の姿で連れ立った
懐かしい匂いがした
雨は私に思い出させる
あなたが 私が 永遠であったはずの記憶
私たちは大いに一緒だったのに
あなたは全て忘れてしまったのだろうか
一体どこで誰を泣かせているのだろうか
私は今日も雨を降らす
あなたのところにも降っていますでしょうか
例によって降ってはいるんでしょうが
まだ知らないままなんですね
あなたの身体に降りかかる雨と
私の身体に降りかかる雨は
それぞれの身体を伝い 去ってゆく
そう
あなたは私の 知らない水を流せばいい
私もあなたの 知らない水を流している
流れていった水と水は
いつか海で再会するのだろう
今度こそ海になろう
それでずっと一人でも
あなたを想う雨を降らす
真実を知る私にはその覚悟ができている
今日も雨が降っている
あなたのところにも降っていますでしょうか
例によって降ってはいるんでしょうが
まだ知らないままなんですね
聖母子 内藤翼
母さん
あの日
とおくへ行くあなたを見おくるわたしへむけて
涙をながしたあなたと
かつて
そんなに死にたいのなら死んでみろと
ケーブルをなげてよこしたあなたとが
どうしてもかさならない
わたしを生かすために
遠い地でまずしくはたらくことを選んだあなた
その老いたすがたを目に焼きつけたとき
床をすべった黒いケーブル
その冷たさにふれ
首にかけようとしてかなわなかったとき
同じ絞めつけられるような苦しさが
喉もとへうまれたのだ
かつて得られなかった愛といたわりを
あの日の涙から受けとったはずであるのに
なぜ
あなたを裏切ってしまったという
すべてを捨ててあなたのほうへは行けなかったという
たましいの痣が刻みこまれたのであろうか
母さん
二十三年前にかえろうか
二十三年前の十月
ほんとうにしぜんにらくに産まれてきてくれたと
あなたは話したが
それからの わたしを育てる日々は
絶えずやすまらぬ苦しみのなかにあったろう
わたしもそうなのだ
あまりにつらいことが多かった
母さんごめんね
わたしは
あなたを包みいやす
きよらかなひかりにはなれなかった
あなたのイエスにはなれなかった
あなたをマリアにしてやれなかった
だから
二十三年前にかえろうか
あなたのみずうみの底で
わたしをつなぐ緒が首にからみつき
やがてあなたもたくさんの管に
むすばれて
とけて
ふたりで凪いだみずうみになれば
母であり子であることの苦しみは
けして知らずにすむであろうし
わたしたちを絞めたたくさんの血の絆しも
光輪となってかがやくかもしれないのだ
歩くために 正村真一朗
畑に采女はいなかった
土塊から作ればと思った
けれどまずしい土を捏ねることはできず
指の先から崩れ散った
この畑で育つものは乏しかった
柔らかい土に立てば沈み込み
粘った水が滲みた
くさぐさの作物は枯れ、懸命に種を蒔いた
芽吹いたところで虫に食われた
囲ってあたためようとしたそばから朔風に倒れた
この野菜たちは多くの種類があって、かつては味のよいものだった
けれども、形は醜かった
畑で巫女の顔をして舞踊する
踊り狂って、たらふく食べて、めぼしいものを生まなかった
見上げれば空は透明で、手が届かなかった
一生懸命熱狂して、振り捨てて、神のお告げを記した
しかし紙は腐っていって、野菜もまた腐っていった
鍬を振るえば
また鰈の煮付けが黴びていった
保存食に塩を振ったが、いやな臭気がした
落葉する向こうに沼がある
藻で濁っている
奥まった日の陰に澱んでいる
根元で茸が黒く腐っている
また腐らせてしまった
また届かなかった
触れられなかった
やわらかな髪を私は生やした
眠らせてくれ
その髪は青くなかった
人が通り過ぎる
雪が降らなくなっていた
雪景色が好きだった
無言で降らせてくれ
しめやかにあたたかく降らせてほしかった
沼を乾かす前に
夕焼けの血脈は途絶え
また一人寿がれた
私はそうはなるまい
青い空を見ていたい
けれど手遊びをして深爪をして
また手から落としてしまった
怒声がする
怒声がする
まがった関節で、私は握りしめた
野菜を吐かぬように
樽漬けを捨てろと言われた
土に埋めた
人のくれたおすそわけを食べるのを忘れてしまった
唾が混ざっているのではないかと疑っていたかもしれない
単に寝ぼけていただけかもしれない
畑を汽車が去っていった
そろそろ廃線になるらしかった
外来の雑草を刈るのもやめてしまった
ときたま、煮付けが届いた
やわらかく、やわらかく、畑でない食い扶持を探した
しかし畑以外になかった
さらに舞踊に磨きをかけて、私に提供し続けた
夢を
沼へ流れ込む水量と流れ出す水量とはどう考えてもつりあわなかった
どこかへ大半の水が消えてしまった
しかし沼は乾かない
川も涸れない
もちろん、氾濫もしない
水面の反射は青く、火山を映していた
私の血はそれでも赤いのだと信じた
野菜を求め畑に来る人はなかった
私はこの畑に立っていた
法事を済ませて、残った茎を刈った
燃やすといやな臭いがした
畑にもとからいた者は一人ひとり死んでゆく
独り残されたとき、舞踊をやめられるのかもしれなかった
それでも、野菜を食べずに生きてゆくことはできないようだった
新たに来る人を受け入れようと土を掃いたが
ゴミを投げ捨てられて帰った
私をここから
連れ出して
沼を渡って
ともになろう
あるいは
ともに畑を耕そう
あなたの畑も耕そう
私は衣をなびかせた
野菜だけがあった
やせた土に還ったとてこの土は肥沃にならないのではないか
と同時に、私が沼に溶けることもできないと思った
農業の指南書はいくつもあった
建築の勉強もした
しかし客土はできなかった
ならばと山を下りることも、できないようだった
谷間の舞台で私はもう少し舞うことにした
腐った野菜に腹を痛めて、肺までも重かった
背中が凝ったが、鍬の棒しかなかった
ほぐしてくれる農家もいなかった
町に出かけて教義を聞くことも、
舞踊を疾駆こそすれ、
とりいれを称揚こそすれ、
怒声をふさぐものではなかった
中途半端な巫女のまま、
采女を受け入れることもできないまま、
野菜だけがある
冬はまだ来ないか
眠らせる冬は来ないか
しかしビニールハウスを建ててでも、
畑に肥料を買い集めて、
夜に舞踊の稽古をして、
ときおり沼の水位を確かめて、
鍬を握ることしか許されない
誰にも触ってもらえずとも、
ごわごわしていた髪を梳って梳ってやわらかくしたように、
奇形の野菜を売ることはできずとも、
それでも畑に立つよりほかないのかもしれなかった
歩けど人家のない山蔭で、私は、
茸が腐らぬように立っていなければならないのだ
それでも、
鰈の煮付けだけは捨てさせてほしかった
海 田口愛理
わたしは
あなたのふかい寂しさを
飲みこんでやる海にはなれず
たがいに牙をむいて
きえない傷をつくりあった
わたしも寂しかった
あなたに触れようとするたびに
つめたい視線がおくられ
傷口がひどく膿むのだった
もうじゅうぶんだ
わたしたちは痛みつづけた
どれほど世界が
濁っていても
息をとめなくてよいのだ
ほんとうのことばを
なみだで融かしてゆく
わたしたちの海へ
虚 島畑まこと
脈打たず
温度のない空洞
そこにはひたすら際限のない
不毛の
黒々として盛り上がった
傷痕のような皮膚がある
ひとさし指で撫ぜ
種をあたえなさい
それが根ざすこともなく
いずれ腐るのを
あなたはきっとみることができる
そう
あなたの恵みは
そこにない
死んだ種から見出すかなしみ怒り
それらすべてが
あなたの
しんじつ持てる
ほんとうの恵みだ
もし あなたが
立ちすくむようなことが あったなら
わたしはその空洞ごとを
きれいさっぱり
消してしまおう
そこにははなから
なにも
なかったことになる
眼帯 加藤佑奈
湖面から飛び立つ鳥を探す
あなたのやさしい沈黙
僕は信じているからと
片頬だけを濡らしていく
わたしは何も言わない
待つべき人は他にいるよ
眼前の底なし沼が
あなたまでも濁らせないように
多少汚れても許してね
猟銃を構える
石棺 古川慧成
かつて俺は石の胸のなかで眠った
午の薄暗い部屋で言葉をたえず造形した 記憶に打ち捨てられた階段を下れば 刻まれた文字は うすら笑いと掻き消えた 硬直してゆく風景は もはや俺の内にある
ああ ここで この部屋で時は死んだのだ
盃を傾けようと 傷跡を見つけることはかなわない 揺らがない生である あなたから太陽を剥取り 俺は俺のために 宙吊りになった 造形物をとりのぞき 部屋は完成した
俺は影を失ったのだ たちまち午の中に在って 外に在る なぜなら 午は言葉そのものだ 支配の根源だ
埋没した傷跡に あなたが蒔いた不可視の花 地上の反対物 あなたが死んだ花のために 明け渡された俺のこころは 起き抜けの理性と手を切った 俺は部屋の最後を見届けた 天上も地も変わらない 不眠の都会に秒読みし しらけたこころ一つ入る 石棺づくりを終えていた
いつだって言葉を所有するに至らなかった みずからの手で蓋を閉じ 俺は宙吊りの太陽になった 二つの時間に息をして 俺は俺を孕んでいた
思想と爆弾 海老沢優
五月も終わりに差しかかり、鉄色がかった闇を生温い風がくすぐる午後七時、私の家に爆弾を身に纏った女が訪ねてきた。
都内の勤務先から二駅分ほど歩き閑静な住宅街(そのほとんどは空き家だ)に建つ自宅に帰ってきたのは、女が訪れるほんの三十分前であった。昨年までこの家には亡くなった私の曽祖母が一人で暮らしていた。少々古臭い外観だが、一人で住むには十分すぎる広さと仕事場が実家よりも遥かに近いのが気に入って、ひとまず住まわせて貰えないかと祖父母に頼み込んだのだ。
帰宅後すぐにシャワーを浴びて、帰り道に買った安い弁当をビニール袋から取り出そうとしたときにインターフォンが鳴った。普段この家に人が訪ねてくるなんてことは滅多にないため、驚きのあまりしばらく弁当を持ったまま動けないでいた。二回、三回と刹那の静寂も許さぬ具合でなり続ける呼び鈴にようやく硬直を解かれ、恐る恐る玄関の覗き窓に片目を近づけてみると、季節外れの真っ黒いコートをボタンまで閉めて着込んだ女が、青白い顔をわずかに伏せて立っていた。ただごとではなさそうな女の雰囲気に恐怖よりも心配が勝り、ゆっくりとドアを開ける。するとその音を合図に顔を上げたらしい女とすぐに目が合った。女は私が思ったよりずっと若かった。ひどく汗をかいていて、月明かりのように青白い顔には細い髪がいくつも張り付いていた。
「なにか用?」と、想定していたよりも上擦ってしまった声でそう聞くが、女は品定めをするかのようにじっと私の目を見ているだけで返事をしない。苦痛を伴う永遠から逃れるように、私は遠くから聞こえる踏切の音と、生温い風が運ぶ女の熱く濃厚な匂いにひたすら感覚を尖らせていた。
やがて女が私から視線を外して厚いコートを脱ぎ始めたのは、実際には私の発言から数秒後のことであったと思う。より一層濃密な、蒸れた女の匂いのする熱気がその場に立ち込めて、思わず体をのけ反らせる。ほとんど透明になっている白いシャツが張り付いた女の体は、胸のすぐ下から下腹部にかけて、妙な凹凸で膨らんでいた。凹凸は腹巻きのように胴を一周していて、出っ張った部分からは濡れたシャツに透かされてわずかに茶色い筒のような物体が見える。
良い子 湯沢拓海
仕切の襖を開けて父が顔を覗かせた。夜寒の張った床の上に立ったまま、娘とその母に、もう寝たかと聞いた。娘は、おとなしい寝息を立てる母の布団に潜り込んでいた。目を閉じ、母の胸もとに顔をうずめ、答えなかった言葉の死骸から、寝息を作り上げていた。
父は何も言わずに襖を閉めると、畳を踏んで部屋の中へ入って来た。娘は閉じていた目をうっすらと開けて、ぶあつい布団の中から、父の手に持った燈篭の灯が移動するのを追った。小さな拳を、母のかおりの浸す暗がりで握りしめた。そのまま僅かな衣擦れの音を立てて、日に日に失われていく母の体温を抱きしめた。
やがて娘は眠りに落ちたが、ある時ふと、自分を包む力に促されるようにして目を覚ました。吐いた息が、熱としめりけを持ったまま返り、顔にあたった。少し身じろぎすると、目の前の暗さのかたちが分かった。控えた力をもって、母が、娘を抱きしめていた。
娘はゆっくりと上を向いたが、母の頭は布団の外に出ていて、その顔は見えなかった。再び静かに顔を伏せると、腕を振り払わぬよう、ただじっとして、母のあたたかさに身をゆだねた。実際、母から娘への抱擁は随分と久しいものであった。
燈篭を父に取られてからというもの、母はしばしば床に伏すようになった。体のまるみが失われ、骨ばっていくさまを、毎晩こうして抱擁を受ける度に、娘は身をもって感じていた。やがて、体を起こしていることの方が稀になった頃、母は自らの手で娘を抱き寄せることが困難になった。娘はしだいに、自分の力が勝っていくなかで、母の遠のいていくのを感じた。ある時からはこうして、娘の方から、髪の毛の一本もはみ出さずに、すっぽりと布団の中に入り、おとなしい母にしがみつくようになった。
娘は、そっと母の腰へ両腕を回し、その随分軽くなった体をこちらへ引き付けた。ふくらみの失われた乳房は、もう娘を迎え入れることはなく、代わりに、細く伸びるあばら骨の上で鼻を転がした。母のかおりが目の奥の暗がりに響きを生んで、娘の瞳の上には透明な膜が波打った。やがてこぼれた小さな涙が、一筋の流れとなって頬を伝い、布団に染み込んだ。母は最後に、うつろの中に泣く娘を、いっそう強い力と、母の熱とをもって抱きしめた。そうして、だらりと芯の抜け落ちた重たい腕を残したまま、呼吸を遠ざけていった。