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第十八回研究会(「苦悩」について)

2023年4月8日(土)

 

 今回は合評ではなく、今後『実存文学Ⅲ』で取り扱う予定の詩人の作品の読み合わせと、討議を通じて思索を深めることが主となった。

 読み合わせの内容については『実存文学』の次巻の内容に触れるため省略するが、代わりに討議のなかでもとりわけ興味深かった「苦悩」についてを記しておく。

 これは牧野虚太郎の詩についてを論じた際に出たワードなのだが、会話をしているうちに「苦悩」には三つの段階があるのではないかという意見が出た(これは舟橋先輩と内藤先輩とが主となって「苦悩」の解剖をしてくださった)。はじめに「不安」があり、次に「苦労」が、そして最後に「苦悩」があるといった内容である。

 ひとつひとつを分解してゆこう。我々の生活においてまず立ち現れるのは「不安」である。例えば日銭に困れば、この先やってゆけるのだろうかという「不安」が湧く。親しい人間と喧嘩をしたのであれば、関係が崩れるのではないかと「不安」に思う。いちばん身近であり、慣れた感覚だ。

 次は「苦労」がやってくる。これは「不安」を解消するために発生する。前述した二例を参照するのであれば、稼ぎをよくするためにより労働に身をやつす、気まずいながらも連絡を取る、といったものが挙がるだろう。

 そうして最後が「苦悩」である。どれだけ「苦労」をしても解消できないものは、どうしようもなく己のうちに残る。この、自身と切っても切り離せない「苦悩」こそが我々の命題であり、そしてこの「苦悩」と向き合い続けることが実存なのではないか。そうだとすれば、なるほど、若きウェルテルがLeiden(苦悩)の最中でもがいていたのも──そしてその姿が若者の心を打ったのも──頷ける。

 また、このほかの話題も前述したように発展をみせていた。冒頭で触れたとおり思索を深める場となったわけだが、これが次刊の批評や論考でいかに活かされてゆくのかが非常に楽しみである。

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