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第十九回研究会(『実存文学Ⅲ』進捗状況)

2023年4月22日(土)


新学期が始まり、初めての集会が行われた。今回は本年度制作する『実存文学Ⅲ』や『江古田文学』での特集について、進捗やスケジュールなどを改めて話し合った。以下、会議の様子を記録する。


『江古田文学』の特集に掲載する、『実存主義文学事典』について次のように担当を決める。

執筆期日は次回の研究会(5月6日)まで。


殉教:加藤

瞬間(と永遠):中田

家族(家族):内藤

インチキ・不正:舟橋

怠惰・甘え:正村

陶酔・薬物:古川

目眩:島畑


「殉教」については、磯田光一(『殉教の美学』他)を参考にする。

「インチキ」については、ハイデガーやパウル・ティリッヒを参考にする。

「怠惰・甘え」については、担当者が切り口に迷っているため、なぜ我々は怠惰になるのかという理由について思索することから始める。例の一つに「世界が無限に続くと思っているから」ということが挙げられる。本多秋五が幼少期に「自分が不死身であったらどれだけよかったか」と考えたということに触れながらも、もしそうであったら現在に生きる者としての危機意識が薄れ、文学の問題を先延ばしにしてしまうであろうと語っている。つまり我々は、「死」という結末があるから怠惰に陥らずに済む。

「陶酔・薬物」については、一つの世界像にするのか、ポーズになってしまうかで詩作への結合の仕方が変わってくる。『現代思想』の1980年8月号で特集として「エクスタシーの哲学」というものが取り上げられている。快楽を得るために政治をするというやり方は、ファシズムを生む。つまり、刹那において生きていると、不条理な弾圧や殺傷も歴史から断絶されて快楽に上書きされてしまう。トマス・ド・クインシーの『阿片常用者の告白』には、「薬物が罰せられることだけは、近代法の概念のいかなる箇所からも理解できない」と書かれている。殺人は他者の生命を奪い、強姦は相手の尊厳を破壊するものだが、薬物が裁かれる理由には社会が壊れるということ以外ない。この点において、対薬物のあり方で国家というもの根底を垣間見ることができる(100年後の未来を投げ出して得る一瞬のエクスタシーで世界を戦慄させる詩を書いたランボーのような例もあるが)。


『実存文学Ⅲ』での特集、牧野虚太郎と勝野睦人についての各研究進捗について。


牧野に関する文章は、担当者が資料室に保管されている雑誌などで一通り調査を行った。

寡作な作家ではあるが、詩集に掲載されていない作品が何篇かあると思われるので、同年代の交流があった詩人などの記述を元に引き続き調べる。『文芸汎論』に掲載していると思われる未発表詩はまだ発見できていないが、近代文学館に所蔵されている可能性があるため、相談して足を運ぶ日にちを決める。文量は多くはないが、一人では印刷ができる範囲に限りがあるため、複数人で手分けする必要がある。また、田村の『若い荒地』より、「花」という詩に副題がついていたことも発見した。(内藤)


勝野の詩や文章については、数があるので翻刻を急ぐ。

OCRでざっと文字起こしをし、資料と比較して誤りがないか念入りに確認をする。活字のいたずらは必ず発生するものであり、かつて1ページにつき200字以上誤植のある本があったが、聞くところによるとそれは一度印刷した資料をOCR化してしまい、入稿前に確認もせず、そのまま出版してしまったが故に起こってしまったという。OCRと手動の打ち込みの精度と負担を考慮して、適宜使い分けるように心がける。資料が多いため、牧野組と分担することも視野に入れる。(舟橋)


牧野と勝野の研究は、例年と比較してかなりはやい作業ペースではあるが、今年度は『江古田文学』と並行しての執筆となるため、限られた時間で効率的に動けるようにする。それぞれの学業や生活もあるので、特に国会図書館や近代文学館などといった開館時間が限られている場所では各自協力して分担しながら作業を行うように。

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