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第十七回研究会(『江古田文学』読み合わせ)

2023年3月26日(日)


 日録を書くまでに日が空いてしまったため、当日のメモと研究会メンバーの証言を元に合評の様子を記録する。


 前日は大学の卒業式であり、しかもこの日は春雨で、参加メンバーは皆どこか疲れた様子であった。

 研究会が始まってしばらくは、事務的な報告や今後の予定について話し合い、後半は、仮締切となっていた「実存主義文学辞典」(『江古田文学』掲載予定)の原稿の読み合わせを行なった。

 私は「限界状況」、正村くんは「多様性」、加藤さんは「反抗」、舟橋くんは「神」、内藤くんは「苦悩」について担当した。それぞれが自らの知識と生活を織り交ぜながら、その用語の実存的な意義を示した。

 なかでも、正村くんの原稿に対する先生のアドバイスが印象的であり、よく覚えている。

「実存主義文学辞典」には「その言葉の実存的意義を新たに打ち立てる」という大いなる目的がある。そのために私たちは、言葉の歴史的な意義を探ると同時に、「私」の実感や生活を重ね合わせた執筆を心がけている。

 今回の正村くんの原稿は、後者が強く表れており、「多様性」に反発する彼自身の言葉が、詩的に語られていた。そして先生は、この文章はまだ「(詩的な)リフレインのなかに留まったままである」と指摘された。

 たしかに、彼の文章には「私」はあるが、「歴史」の部分は希薄に感じられた。先生はそのことをまず指摘され、サルトルの最期と、吉本の証言を絡めて、原稿を再構成された。

「私」だけで「詩」を書くことは、おそらく可能である。しかし、詩作において「私」と「歴史」の掛け合いは、重要な技術である。そして、それは「実存主義文学辞典」においても、意識すべきバランスである。

 私含め、辞典の文章を書くのは研究会メンバー全員が初の試みである。各人が奮闘し、原稿を書き上げてきたが、そこに「辞典」としての一貫性はまだ見えてこなかった。次の原稿は、「詩を書くように辞典を書く」という点で、ひとつ共通した意識が生まれれば良いと思う。

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