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第五回研究会(意識の最下層性機構について)

2022年6月25日(土)


 今回の勉強会では大きな進展があった。舟橋くんが菅谷規矩雄『ゲニウスの地図』の研究を進めるなかで描き出した、一枚の図を持ってきたからだ。

「意識の最下層性機構について」と名付けられた図は、言葉、コギト、空白(母にとっての子のような、何かを代入できるところ)を頂点に持つ三角形であり、言葉から空白へは「時間性」を、言葉からコギトへは「延長性(意識の無限後退)」を、それぞれ示す矢印が引かれている。言葉から三角形の中心を通るように一本の線が引かれ、その先に死と置かれている。

 死に向かって進む時間経過の中で、人はそれぞれの「虚無の底」に直面し、その交点で直角に交わる線が、我々の詩作品である。「死」とコギトの間には男性的自我が、「死」と空白との間には女性的自我が存在する、ということを表したものである。そこから、我々の内を流れる時間(女性的自我における時間)と、外の世界に流れる時計の時間(男性的自我における時間)との、相互関係も見て取れる。

 この図によって研究を進めている詩人の作品や我々の作品の位置するところが、より見えてきたといえるだろう。我々は詩作品の直線と言葉の点によって作られる小さな三角形の内側に、「空白(詩においては象徴)」を生成し続けている。

 例えば、荒地派の詩人は、森川義信や牧野虚太郎を知っていた。彼らの詩は、死の寸前にまで肉薄したものだったため、詩作品の直線は死に限りなく近いところに引かれる。完璧に近い彼らの作品は、踏み越えてはいけないラインとして荒地派の詩精神に共有されたのだろう。このラインを、私たちは、「森川・牧野ライン」と名付けた。

 森川・牧野ラインは、荒地派が詩作を続けるなかで「ここまでいったら本当に死んでしまう、だからこのラインだけは絶対に飛び越えてはいけない」という一つの精神の指標として荒地派のなかに刻みつけられた。

 その為、死を踏み越えずに、戦後の生にとどまることによって、歴史の深淵を見るという態度が、荒地派の主体に形成された。この態度こそが、生きる意味をすべて喪失してもなお、感動的な言葉を書き続けた荒地派の詩の源泉だったのではないだろうか。

 しかし、六〇年代詩人を代表する菅谷規矩雄は、森川や牧野のような詩人を身近に持つことができなかった。そして、戦前と戦後という「虚無の底」を二つ抱えてしまった。この捻れの構造をもっていた菅谷は、三角形そのものを壊すことによって、新しい歴史が始まるのではないか考えた。菅谷の苦しみは、死への誘いを、引き止めてくれる存在がいなかったことではないだろうか。

 舟橋くんが考えてきた図を使うことによって、戦後詩人の詩的構造をより深く理解することができたと思う。

 合評は、私(古川)の詩(「それぞれ互いの破れ目に」)を対象に行われた。あらかじめ母の形を与えられ、自らの生の形とのズレで、引き裂かれ続ける母子関係を描いた詩であった。山下先生は、「寸断された身体(ジャック・ラカン)」を引用しながら解釈したが、解読不能な部分がいつも残ると語った。わたしの裂け目は、母が父性の衣を纏い、同時に母性的であるという異様な家庭の捻れにあると思う。それは母にも裂け目を生んでいるのだろう。

 舟橋くんはハイデガー的な読みができないといい、しばらくの沈黙があった。内藤先輩は、「地獄の身体」と例え、死んでも蘇り、永遠に死に続けるようだと語った。一行目と最終行が意味的に呼応し、円環構造を成しているようにも読めるからだ。

 さて、先ほど説明した図に私の詩を当てはめてみるなら、死の覚悟性に向かって統御される意識が、あらかじめ寸断され、分裂し続けているといえる。舟橋くんは、ちょうどこの図をひっくり返したところに位置付けられる、と語った。ここに解読しがたさがあるのだろう。私自身も、正直自分の詩は、解読しがたさがいつも残る。裂け続けるものに対する詩的な眼差しと、それらを結び合わせるものがなんであるかという問いがこれからの課題だろうと思う。

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